法華経一部読誦講習会 in WEST

一々文々のオウム返しによる一部経読誦の講習会です。令和元年より関西でも開講しております。

要品を考える

皆さんが、修法師会や青年会などで読誦行をなさる場合、総要品や略要品をお読みになることが多いことと思います。

あまり疑問を持たずに今日まで読誦してきましたが、現在、私たちが読誦しておりますこの要品、いつ頃から今の内容で定着したのでしょうか?

 

日蓮宗事典には、妙楽大師や伝教大師も重んじられた天台宗でいう所の「四要品(方便品、安楽行品、寿量品、普門品)」をベースに、神力品や陀羅尼品などが加えられ、現在のものに近い形に推移してきたと書かれています。

基本的な内容はある程度の共通点があるものの、要品の内容は、時代によって、また門流や宗派の教義に従って、勤行や法要などに用いる時の便宜を考慮し、各々が必要とする法華経の肝要部分を抽出し、様々に発展してきました。中には、起顕竟の法門に則って法師品や見宝塔品、従地涌出品、嘱累品などを加えたものもあったようです。

 

では、現在私たちが読誦しております要品は、日蓮宗の教義を述べたり儀式法要を行ったりするのに適切なものになっているのでしょうか?

例えば、日蓮宗ではここ数年、宗門運動として常不軽菩薩の但行礼拝に倣い、「いのちに合掌」のスローガンのもと、様々な活動を展開しています。ですが、多くの方が常用される要品には常不軽菩薩品は掲載されていません。

 

従来、「勧持品の二十行の偈と常不軽菩薩品を抜きにしては日蓮聖人の思想を語ることは難しい」とのご指摘(私の聞き伝えですので公式な見解とは差異があるとは思います。ご容赦ください)があり、立教開宗750を記念して、平成14年に常不軽菩薩品が掲載された要品が発刊されました。勧持品は元々掲載されていましたから、このご指摘に適う要品がめでたく完成し、以後、この要品を所持される方も多くなりました。

ですが私たちはこれ以後も、要品をお読みする際、今まで通り、勧持品二十行の偈も常不軽菩薩品も、どちらも大抵読み飛ばしています。果たしてこれでよいのでしょうか?

 

こう考えますと、例えば「観心本尊抄には、従地涌出品の後半と寿量品、分別功徳品の前半が本門の正宗分だと記されているのだから、この一品二半も読んだ方がいいのでは?」とか、「當山の御宝前は一塔両尊四士なので、見宝塔品や従地涌出品も読むべきか?」などと考えてしまいます。

そんなことを言い出してはどんどん要品は分厚くなって、日々の勤行に用いるのに不便です、とのご意見も出るでしょう。

いやいや、そもそも、広・略・要を考えれば、「広は法華経一部、略は特定の品々の受持、要はお題目の受持」であり、要品や一部経の読誦より、「要」であるお題目を一心にお唱えすることこそ最肝要である、と御尤なご指摘も頂くことでしょう。

 

お釈迦様の金言である法華経に対して、どこが必要でどこが不要だ、という議論には憚るところが大いにありますが、常に一部八巻全てお読みすることは無理があり、要品はこれからも必要であると考えます。

要品は、これまで様々な推移を経て現在の内容に定着したのですから、そこにはその都度、上述の常不軽菩薩品掲載のように、大切な議論があったはずです。そういった先師・先輩方のお考えや信仰も継承し、掲載された品々をしっかりと読誦していきたいと思います。

一部経読誦講習会では、お経の内容講義も行っております。是非とも講習会にご参加いただき、皆様と共に、内容も理解しながら一文字一文字大切に読誦行に精進してまいりたいものです。