祝!コンプリート
今回めでたいことに、お二人の受講生が法華経八巻全ての課程を修了され、「全課程修了の証」が披露・授与されました。
コロナによる中断もありましたが、お二人とも池上本門寺様での受講から何年もかけ、本日ようやくのコンプリートでした。本当にお疲れ様でした。
全課程を修了すると、もれなく「部経読誦普及委員会」の会員となって頂きます。会員となると、色々な特典があるのですが、それはまた次の機会に。
当委員会はその名の通り、一部経の読誦を今以上に普及させていくことを目的とした団体です。各地の読誦会しかり、講習会しかり。
そしてゆくゆくは、日本全国の各地域どこにでも一部経読誦を指導できる人材がいて、学びを求めた方がお経を習いにやってくる、そんな未来を切望しているのです。
今回の修了者を含め、委員会の会員数は33人となりました。着々と各地に精鋭たちが増えていってますが、日本全国、というにはまだまだ少ないですね。
委員会一丸となって更なる一部経読誦の普及に力を注ぎ、益々の会の発展、今よりもっと賑やかで充実した講習会が開催できますよう、以後も頑張ってまいります。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
寝不足の講習会3日目
いよいよ講習会も最終日となりました。
今朝も本堂にて、六之巻の残り半分をゆっくり丁寧に読誦しました。
それにしても、今回の講習会は皆さん寝不足気味のご様子。私達スタッフも寝不足気味です。
毎晩、夜な夜な大宴会を…ではなくて、なんと、鶏の夜鳴きによるものです。
本圀寺様には鶏が飼われています。小屋に近づくことがないので直に見た事はないのですが、飼われているのは烏骨鶏だとか。
普通、鶏といえば、朝を告げるようにコケコッコーと鳴くイメージですが、本圀寺の彼らは、真夜中に鳴くのです。だいたい、日付が変わる頃に鳴き始め、朝、明るくなるまでずっと鳴いてます。その分、昼間は全く鳴きません。夜型なのです。
それも、複数羽が、なかなかな大音聲で鳴くのです。初日の夜も、昨晩も。ですから受講生の皆さん寝不足です。私達スタッフも。
帰宅してからネットで調べました所、烏骨鶏は深夜に鳴くのだそうです。鳴くのは雄で、夜行性の獣に襲われないよう、複数羽で大声で鳴く習性があるのだとか。なるほど、彼らも必死に生きているのですね。
そんな眠気と闘いながら、9時からはお祖師様が随身佛として生涯大切に祀られた立像釈尊の祀られる本師堂にて、最後の締めくくり、六之巻を一巻通して読誦しました。
これまた雨垂れでゆっくり。朝勤に比べると若干はペースをあげましたが、それでも一巻通して1時間強。
足の痺れも味わいながら、報恩のお経をお捧げしました。
その後、10時半には教場に戻り、最後の質疑応答を交わし、11時頃の解散となりました。
毎度毎度、本圀寺様には並々ならぬお力添えを賜り、今回も大きなトラブルも無く、一部経読誦に没頭することができました。ここにあらためて感謝御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
次回、七之巻講習会の日程が決まりましたら、当ブログにてお知らせします。
公式LINEアカウントもあります。お友達になって頂くと、一部経読誦に関するご質問等もうけやすくなります。
受講後お帰りになってから、「あれ?ここはどう読むんだっけか?」ときっとなります。そんな時は公式LINEアカウントです。お待ちしています。
六之巻内容講義
さて、皆様お待ちかね、内容講義の時間がやってきました。
講師は、いつも軽妙で笑いの絶えない話術でご講義下さる三木天道上人。
本日の日中には近畿ブロック青年会への講義をなさっていたとのことで、ダブルヘッダーでさぞお疲れのことと拝察致しましたが心配は無用でした。講義開始するや否や、止めどなく溢れ出る経文とその解説。
ですが今回は六之巻、肝要中の肝要ですから、ご用意頂いた資料も、いつもに比べると難しそうです。
「如来の秘密、神通の力」とは?
「六或示現」とは?
「四信五品」とは?
「五十展転随喜の功徳」とは?
…等々、その他諸々、大切な法門が続々と連なっています。
今回の内容講義には、講習会の受講生に加え、地元京都から3名の受講者もご来場くださいました。
この学びが法華経読誦の更なる向上に繋がる事は間違いありません。
では私もブログ投稿はこの辺りにしておき、講義に熱中いたします。
追伸。ただ今20時半ですが、まだ寿量品です。
おまけ
今回も多方面より差し入れを頂き、美味しいオヤツがたくさんです。
皆様のご厚情に、この場を借りて御礼申し上げます。
本堂に鉛筆は持って行きません
講習会2日目。
起床の後、身支度を整えて本堂にて朝勤です。
昨日習いました六之巻の半分を読誦しました。ゆっくりじっくり丁寧に雨垂れでお読みしますと、半巻でだいたい40分くらいかかりました。
他の宗派はどんな速度なのか存じ上げないですが、日蓮宗では速くお経を読むことが多いように思います。
ですが、上達するには、やはりゆっくり丁寧に、がいいです。
私自身、常々は速く読んでおりますので、たまにゆっくり読みますと、「おや?」と不安に思う箇所が出てきます。こういった、不確かな箇所の確認は、1人では難しいですから、仲間と共にゆっくり読誦する朝勤は、とても大切な機会だと痛感します。
以前、受講生の方より「読誦中に、不確かな箇所が出てきた際に印を付けたいので、朝勤に鉛筆を持って行っていいですか?」と尋ねられました。
講師陣に確認しますと、返答は「不可」でした。何故ならば、「朝勤はお経の練習ではなく、法味言上だから」という理由でした。
実のところ私は、自坊での日々の朝勤をお経や木鉦の練習の場だと勘違いしていたことがあります。ですから、本堂に鉛筆を持って上がりたいというお気持ちも、よくわかるのです。ですが、練習と法要は履き違えてはいけないのですよね。
楽器や歌、芸能などでも同様の考え方があるようで、「プレイ」と「プラクティス」を区別することは大切と言われます。
例えば、楽譜を見ながら難しい箇所だけを繰り返し、自分のテンポで練習をする、これは「プラクティス」です。
この時、何度間違おうと、練習なのですから更にテンポを落としたり初めからやり直したりと、その取り組み方は何でもありです。
一方、お客さんの前で演奏する本番はもちろん、リハーサル等、複数メンバーと共に合奏するのは「プレイ」です。
そうなりますと、一度始まった演奏は、一曲またはある程度の節目まで停まることなく続けられます。
もしもその時、稽古不足ゆえに間違ったりフレーズが思い出せなかったりすると如何でしょう?リーダーに叱られたりバンドをクビになったりしそうです。
言うまでもなく、「プレイ」はシビアなのです。だからこそ、講習会中のカリキュラムだからと言え、朝勤は一座の法要として真剣に取り組まねばなりません。(自戒の念を込めて書いております)
そしてその分、教場での練習中に不確かな箇所がなくなるよう、しっかりメモをとり、経本に書き込み、講師先生に質問し、何度も確認をし、という「プラクティス」の濃度を上げていくことが大切なのです。
読経上達の道のり
ただ今、午後8時半。13時から始まった講習会も初日が終わろうとしています。
今日は分別功徳品から一々文々の練習を始め、ようやく随喜功徳品まで終わりました。
とはいえ、半巻をひと通り習っただけです。半巻をひと通り習うだけでこの時間。あと半分残っている上、習った箇所を読み込んだり、聞き間違いを発見したり、という取り組みはまだまだこれから。読経上達の道のりはなかなかに長いです。
よく、「お経が上手になるコツはありませんか?」と尋ねられます。
ハッキリ申し上げますが、反復あるのみ、近道は恐らくないでしょう。
ですが先程、先生より「上達には段階がある」とのヒントを頂きましたので、こっそりお知らせします。
まず、あらためて言うまでもない事ですが、お経が上手になる為には、この講習会のように、一々文々で人に教わることが肝心です。そして、習うだけでなく、それを自分のモノにする為、日々、反復して練習しなければなりません。
そのうち、慣れてくるとスラスラ読めるようになるでしょう。すると今度は我流が染みついたり気付かぬ誤りが拭えなくなったりします。また、1人で練習していると飽きてきたりダラけたりしてしまうかも知れません。
ですので、その次の段階として、仲間と共に読誦に励むことをオススメします。
仲間がいると、切磋琢磨、互いに高め合い、刺激し合うことができますし、我流や自分の誤りに気付くこともできます。
私も痛感していますが、仲間とお経を読むと、グングンと成長できます。
管区内やお近くの管区に一部経読誦会がありましたら、是非とも参加してみて下さい。
きっと、何処の会も大歓迎でしょう。
そうして自身がグングンと成長できましたら、今度は貴方がこれまで培ってこられた読経の技術・知識・経験を、それを求める方へ伝えて下さい。
人に教える立場になると、それまでとは経文一句一句に注ぐ想いが月とスッポン。無責任なことは言えませんので、自分でも驚くほどに意識が変わります。
また、自分の未熟さも痛感できますので、今までと比べものにならないくらい丁寧にお経を読むようになったりします。
恐らく、この段階が最も伸び幅が大きいのではないでしょうか。
私たちは皆、未だ発展途上の段階。講習会の受講や一部経読誦会への参加は、読経上達の入り口で、その道のりは果てしないもの。
いつになっても納得できることはないかもしれませんが、それぞれに成長し、その喜びを共に分かち合いながら、その道程を楽しみたいですね。
『読誦』
以前このブログでもご報告しましたが、昨年6月、身延山は開創750年を迎え、記念の法要が連日に営まれました。
その中に「法華経一部読誦会法要」という法要があり、全国各地の一部経読誦会の会員たち総勢100人以上が集まって、久遠寺大本堂にて一部経を読誦しました。
そしてこの度、その法要の記念として、写真の冊子『読誦』が発刊されました。
今から42年前の昭和57年、東京神奈川一部経読誦会が20周年を迎えられ、記念大会が催されました。その折に発刊されました記念誌より一部を抜粋・再編集し、この度『読誦』と題した記念冊子として刊行されることとなったのです。
この冊子には、当時、本山堀之内妙法寺の貫首様であった茂田井教亨先生による記念講演「読誦について」と、当時読誦会会長を務められていました、後の本山堀之内妙法寺貫首、駒野日法猊下による「東京神奈川一部経読誦会の過去と未来」と題した寄稿文が掲載されています。
本年8月に私の手元にもお届け頂き、偉大な先師方のお言葉に胸を熱く致しました。
身延山での法要に参加した記念品であるはずのこの冊子、なななんと、この度、六之巻の講習会を受講なさった方々にもお配り頂けることとなりました。いやぁ、ありがたいことです。
このご縁を更なる研鑽へと繋げていきたいです。
六之巻講習会、はじまりました!
本日令和6年10月15日より17日までの二泊三日間、京都市山科区の大本山本圀寺様を会場に、法華経一部読誦講習会「六之巻」を開催しています。
秋は御会式やお祭り等の行事も多く、皆様お忙しいご様子で、いつもより少ない人数での講習会となりました。ですが、少ないならその分、濃密に時間を過ごすことができますので、これはこれで宜しいかと。
講習会に先立ち、午前中には、前回のおさらい、五之巻の確認講義を行いました(希望者のみ)。前回、五の巻は3月でしたが、皆様それ以後も読誦に精進なさってた模様で、スラスラとお読みになってました。
そして午後1時より、いよいよ開講です。
今回は六之巻。如来寿量品第十六、分別功徳品第十七、随喜功徳品第十八、法師功徳品第十九の4品で、法華経八巻中、最も肝要な部分を習います。
如来寿量品以外は要品に掲載されていませんので、お読みする機会も少ないかと思います。ですが、
「但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う」
「是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る」
等と観心本尊抄に教示されますように、従地涌出品第十五から嘱累品第二十二までの八品は、末法に生きる私達にとって特に重要な教えが説かれる箇所です。
ならば、「滅多に読まないお経」にしていては勿体ない。この機会にしっかり学び、日々の読誦を重ねて習熟したいものです。
明日の夜19時からは、お楽しみの三木天道上人による六之巻の内容講義もあります。
ただただお経を呪文のように唱えているのではなく、意味も味わいながら読誦できると尚よいですね。
内容講義のみのご参加も大歓迎です。
お近くの方、お時間のある方は、是非とも本圀寺へお越し下さい。