法華経一部読誦講習会 in WEST

一々文々のオウム返しによる一部経読誦の講習会です。令和元年より関西でも開講しております。

三徳偈

法華経の譬喩品第三に、「三徳偈」と呼ばれる箇所があります。

三徳とは、主・師・親の3つの徳のことで、言うまでもなく、これら3つは私たちが敬うべき誠に尊い存在です。

そして、日蓮聖人も「ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる」と仰るように、世に多くの仏さまがいらっしゃいますが、この娑婆世界に於いて、これら三徳を全て兼ね備えていらっしゃるのはお釈迦さまただ一人であるとされています。

 

この三徳偈は、欲令衆の一部として読むことが多いですが、譬喩品に「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護」と説かれています。

今更申し上げるまでもなく、「今この三界は、皆これ我が有なり」とは、お釈迦さまがこの娑婆世界の主であるということです。

次に、「その中の衆生は、皆これ吾が子なり」と、私たち衆生は皆、御仏の子であると示されていますから、お釈迦さまは私たちにとっては親ということになります。

そして、「ただ我一人のみ、よく救護を為す」とあり、お釈迦さまは私たちを救おうと教え導いてくださる師匠である、と示されています。

ですから、この三徳を兼ね備えられたお釈迦さまはこの上なく尊い存在として、私たちは誰よりも何よりも敬わなければなりません。

 

さて、いつもの如く前置きが長くなりましたが、ここからが今日の本題。

先日郵送されてきました宗報の一月号に、この三徳偈について述べられた文章が掲載されていました。

日蓮宗事典』には「日蓮聖人によれば主・師・親の三徳は、末法法華経を弘める法華経の行者にも備わる」と記されており、開目抄で述べられた「柱」「眼目」「大船」の三大誓願にこれら三徳を配されたと言われます。

そしてそのご文章では、私たち現代の日蓮宗教師も、教師の資質として、小さくとも三徳を具えなければならない、とご教示くださっていました。

 

そのお話の中に、三徳偈の「~唯我一人 能為救護」はだれでも覚えているが、その続きをきちんと述べられる方は少ない、と記されており、私は「ドキッ」としてしまいました。

三徳偈は、欲令衆のみならず、釈尊降誕会や涅槃会といったお釈迦さまに関する法要では必ずお唱えしますから、もちろん覚えています。

しかし、「その続きは?」と問われると・・・。

一部経の講習会を開催し、自坊でも読誦に励んでいるつもりでしたが、なんともお恥ずかしい限りです。(私個人のレベルの問題であり、すべての講師が同様ではありません、ご安心ください)

 

三徳偈の続きには「雖復教詔 而不信受(また教詔すと雖も、しかも信受せず)」と説かれます。

三徳を兼ね備えたお釈迦さまが、私たちに教えを説いてくださっていても、私たちは「貪著深きが故に、その教えを信受しない」と説かれているのです。

日蓮聖人も、この経文を「而不信受」まで引用され、爾前の教えではなく法華経を信仰すべきとお示しになっています。

こうお読みしますと、三徳偈は単なる「ありがたい経文」ではなく、このありがたい教えを信受しない自分への訓誡としてお読みすべき経文なのだなぁ、とあらためて思い、よい反省となりました。

 

『土篭御書』に「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことば(言)ばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。」と示されます。

口だけでなく、言葉だけでなく、心に法華経を読み、そして身で実践する。そういう僧侶を目指してこれからも精進してまいります。

如是我聞の心境

ご存知の通り、法華経はもちろん、ほとんどの経典は「如是我聞」の言葉で始まります。
「是の如く我聞きき」と読みますが、これは「多聞第一」と敬われた阿難尊者の言葉であると言われます。


阿難尊者は侍者になってからお釈迦様がご入滅されるまで25年もの間、常にお釈迦様に付き従い、身の回りのお世話を進んで行いました。ですから、お釈迦様のお説法を直に、誰よりも多く聞き、熱心に仏道修行に励んでおられました。


お釈迦様がご入滅された後、お弟子様たちは、尊い教えを誤ることなく世に伝える為、集会を開き、その教えについて互いに確認し合いました。
これを結集(けつじゅう)といいますが、この時に、多聞第一である阿難尊者が代表して、「私はお釈迦様からこのように聞きました」とお話になったのです。
これを後世、文字にしたものが経典ですから、経典は「如是我聞」で始まるのです。

 

ではこの時、阿難尊者は一体どのようなお気持ちで「如是我聞」と仰ったのでしょうか?

『諸法実相抄』という御遺文に次のように記されています。
「彼の千人の阿羅漢、佛のことを思ひいでて涙を流し、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者は泣きながら如是我聞と答へ給ふ」

 

以前、「法華経一部読誦講習会 in WEST」の内容講義を担当くださっています京都市教法院ご住職の三木天道上人が、この一説をご紹介下さって、「阿難尊者は泣きながら「如是我聞」と仰ったのです」とお話しくださいました。


「佛のことを思ひいでて」とあるのですから、お亡くなりになったお釈迦様へ恋慕の思いを馳せ、涙を流しておられたのでしょう。私たちは、お経をただの呪文のようにお唱えしてはいけない、その時のお釈迦様やお弟子様のお気持ちを考えながら、心を注いで読まなければいけません、という講義内容でした。

 

さて先日、京都一部布教師会の勉強会があり、三木天道上人がご講義くださいました。
その席で三木上人が仰るには、「あの阿難尊者の話をした後、何度も『諸法実相抄』を読み直してみたが、どうも前後の文を読み損ねているようだ」とのお話でした。

 

『諸法実相抄』には、「末法に生まれて法華経を弘めん行者は三類の敵人有て流罪死罪に及ばん。然れども堪えて弘めん者をば衣をもて釈迦佛をほひ給べきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ。(中略)此の如く思ひつづけて候へば流人なれども喜悦はかりなし。うれしきにもなみだ、つらきにもなみだなり。涙は善悪に通づるものなり」とあります。
この後に、上述の「佛のことを思ひ~」と続き、「今、日蓮もかくのごとし。(中略)現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思ふて喜ぶにもにあみだせきあへず」と記されます。

 

三木上人は、『諸法実相抄』に「うれしきにも涙、つらきにも涙」と示されるように、阿難尊者の「如是我聞」には、惜別、恋慕の涙もあったでしょうが、やはり「一切衆生のために留め置き給う処の妙法蓮華経」に出会うことができた喜悦の心に溢れておられた涙でもあったのでしょう、とのことでした。

 

私も阿難尊者のお気持ちを考えながら「如是我聞」とお唱えしたいなと思います。

レッスン今昔

なかなか講習会が再開できず、もどかしい日々を過ごしておりますが、先日とうとう、講習会再開の会議をしている夢を見ました。これが正夢であるとよいなと思います。

 

話は全くかわりますが、最近、近所の高校生にギターを教えています。

教えている、というのは些か偉そうな物言いで、個人練習では感覚をつかめず習得しにくい技術等についてアドバイスをする程度のことです。

 

何故、こんな話をするかと申しますと、楽器の練習について、時代によって、こんなにも練習方法が変わるのか、と面食らったからです。

 

その高校生は、自宅で真面目に自主練習に励んでおられ、初心者ながらも順調に上達しています。

ある時、その高校生に自宅でどのように練習しているのか尋ねてみました。すると、何とYouTubeを見て練習している、との返事。

最近は、YouTubeに手軽な練習用教材がアップされており、スクールに通ったり、教則本を買ったりしなくても実践的な練習が簡単にできるというのです。

 

私も見てみたのですが、私の拙いレッスンに比べ、とても優れたわかりやすい練習用動画が沢山あるではないですか。

流行りの曲なら、曲に合わせて楽譜もスクロール表示されるものも多くあり、楽譜を買ったり、耳コピ(楽譜を見ずに曲を聴いてコピーすること)したりしなくていいのです。ああ、便利だ。

 

どんな習い事でも、基礎練習は退屈に思ってしまうものです。

私も、なるべく地味な練習は避け、手っ取り早く演奏技術が身につかないか、と都合のよいことばかり考えていました。

でも、歴が長くなればなるほど、基礎力不足ゆえ壁にぶつかり、逃げていた基礎練習に遅まきながら取り組む、ということを繰り返しているのが実情です。

ああ、お経も一緒ですね。焦って習得した付け焼き刃は、すぐに剥がれてしまいます。

 

その高校生も、入り口としては大変便利なものを上手く活用しているのだと思いますし、便利を否定はしません。

でも、上述しました通り、一人では身に付けられない技術があるから、私の所へ習いに来たのでしょう。

コロナ禍により、オンライン化がすごい速さで進んでいますが、やはり対面指導のように微細に伝えることはできないようにも思います。

 

そのうち、お経もYouTubeで習得する日が来るかも知れません。

ですが、やはり師匠より一々文々で習うには勝らないと思います。

便利なツールに役目を奪われないよう、私達も技術を磨き続けなければなりませんね。

 

そして、1日も早くコロナが落ち着き、安心して一部経読誦習得に励める日が来ますよう、心より祈念申し上げます。

一句目はどこまで?

法要にて、導師並びに式衆が読経する際には、ルールが定められています。

『宗定法要式』には「導師が磬一下の後、経題を読み上げ本文の初句まで句頭したら、式衆は2句目より付けて読み始め、次に木鉦を打ち始める」と記されています。

つまり、「方便品」でしたら「妙法蓮華経。方便品。第二。爾時世尊」まで導師が句頭し、「従三昧〜」から一同が同音します。

如来寿量品」は、1句目は「爾時佛告諸菩薩」ですから、同音は「及一切大衆」からです。

では、「提婆達多品」はどこから同音していますか?

 

経本の句読点を確認すると、提婆達多品の1句目は、如来寿量品と同じ「爾時佛告諸菩薩」となっています。

『宗定法要式』のルールを適用するならば、寿量品と同様に、2句目の「及天人四衆」から同音するのが正しいと考えられます。

ですが、古来の慣例か、「爾時佛告」で句切って「諸菩薩」から同音される方も多いと思います。そして、当講習会でもそのようにお伝えしております。

では、これは間違いなのでしょうか?

 

本来、経本は白文であり、句読点は打たれていません。

そして、師匠や読師よりお経を習う際には、必ず一句ごとに句切ってオウム返しで指導を受け、その句切りに自分で朱を書き入れ、句読点を記してきました。

ですから、習った師によって句読点の箇所に若干の差異があったことは大いに想像できます。

ただ単に、「一句が長いから」という理由でテキトーに挿入したのではなく、経文の意味を考えて、適切と思われるところに句読点が挿入されているでしょうから、何通りかの打ち方があることも不思議ではありません。

 

ちなみに、天台宗の『法華三部経』では、提婆達多品、如来寿量品ともに「爾時佛告」で句切られていました。

日蓮宗の経本ではどちらも「爾時佛告諸菩薩」となっているのですから、読み方は揃える方がいいようにも思いますし、過去慣例を重んじることも大切に思います。

個人的には「その時の仏は告げた、諸の菩薩および天人四衆に」と、倒置法のような文になりますが、「爾時佛告」で句切った方が意味に合うように感じます。そうすると、寿量品を直すべきなのかしら?

別案として、「爾時」「佛告諸菩薩」と句切る方がいらっしゃいますが、この場合、「その時に、仏 諸の〜に告げたまわく」と読めるので、これもしっくりくるように思えます。

毎度のコメントですが、大変悩ましいですね・・・。

 

現行の経本には必ず句読点が既に印刷されていますから、私たちは何の疑問ももたずに、句読点の打たれた所で句切り、同音や金丸を打つ場所の目安にしたり、息継ぎをしたりしています。

ですが、考えてみれば、その印刷された句読点も古来の慣例に則っているわけで、あらためて検討すれば、訂正が必要な箇所もあるかもしれません。

 

経文の句読点を、単なる作法の目安としてではなく、文意に基づいた句切りであると認識しながら読経ができるように精進を重ねたいですね。

「舎利弗」はなぜ縮めて読むのでしょう?

お経をお読みする時、基本的には漢字1文字につき木鉦を1打して拍を取ります。

例えば「爾時世尊」でしたら「にー・じー・せー・そん」と4拍で読みます。

過去のコラムでも書きましたが、時々このルールに反して漢字2文字を1拍に縮めて読む箇所があります。

その代表的な箇所の一つに「舎利弗」があります。

 

舎利弗」とは、あらためて説明するまでもなく、お釈迦様の高弟のお一人、智慧第一と称される舎利弗さまのお名前です。

講習会WESTで内容講義を担当くださっています三木上人もおっしゃってましたが、なんと、これは舎利弗さまの本名ではありません。

 

舎利弗さまは、インドの言葉では「シャーリプトラ」「サーリプッタ」と呼ばれますが、これは、「シャーリー(サーリー)」はお母さまのお名前、「プトラ(プッタ)」は息子、という意味で、つまり「舎利弗」は「シャーリーの子」という意味です。

般若心経などには「舎利子(しゃりし)」として登場しますが、もちろん同一人物で、文字通り「舎利の子」です。

他に、説法第一の富楼那さまは「富楼那弥多羅尼子」と呼ばれますが、これもまた、本人の名前の「フルナ」に続けて、お母さまの名前を用いて「マイトラーヤニーの子」と呼ばれているのです。

ちなみに、舎利弗さまの本名は「ウパティッサ」というお名前で、お経には「優波低須」「優波低沙」などと表記されています。

 

さて、日蓮宗では法華経を読誦する際、「舎利弗」は、必ず「舎利」の2文字を縮めて「しゃり・ほつ」と2拍で読みますが、これは一体なぜなのでしょう?

実は私はその理由を存じ上げません。(何か一説が示されていると思ってお読みの皆様、誠に申し訳ございません)

 

般若心経を聞いておりますと、「しゃー・りー・しー」と縮めずに読んでおられます。私は昔、初めてこれを聞いた時に、「お母さまのお名前が「シャーリー」なのだから、縮めない方が正しいのでは?」と疑問に思ってしまったのですが、日蓮宗では必ず「しゃり・ほつ」と縮めて読んでいます。

どなたかこの理由をご存知ではありませんか?

  

天台宗法華経読誦普及会編『法華三部経』を見ますと、「舎利弗」には縮めて読む記号が付けられており、天台宗では日蓮宗と同様の読みをしていることがわかります。

日蓮聖人は当時天台宗であった清澄寺で得度なさり、比叡山で御修行もなさっていますから、当時から「舎利弗」は縮めて読んでおり、日蓮聖人もそう習われ、日蓮宗の読みはそれに倣ったものだ、と推測するのがよいのでしょうか。

 

また、別の語句についてですが、面白い発見がありました。

「陀羅尼」 は日蓮宗では「だら・にー」と2拍に縮めますが、天台宗の『法華三部経』には「だー・らに」と縮める記号が付けられています。

「陀羅尼」はサンスクリット語「ダーラニー」の音写ですから、比較して見ますと天台宗の縮め方の方が原語に忠実なように思え、この違いはいつ頃どのように生まれたのか、大変興味深く思った次第です。

 

余談ですが、埼玉県等に「舎利弗さん」という苗字の方がいらっしゃるそうですが、こちらは読経ではありませんから、お名前をお呼びする際には「しゃりほつさん」と縮めて読むのが当然でしょう。

  

今回の話題は、講習会でももちろん例外なく「しゃり・ほつ」とお伝えしておりますし、今後改訂していくべきだ、という議論も全くございません。

ただ、個人的に疑問に思った、というだけのコラムでした。余計な波風をたてるような内容で、誠に申し訳なく、文末にてお詫び申し上げます。

方便品を探せ!

法要が始まり、開経偈にてお経頂戴、持ち上げたお経本を経机に降ろすや否や、導師による方便品第二の発音。慌てて一之巻を手に取って方便品を開こうとするも、その箇所がすぐ見つからずにアタフタする・・。

皆様はそんな経験をなさったことがありませんか?

自坊のお経本ならまだしも、他寺の経机にある慣れない八巻本では、パッと方便品を開くのは少し難しいですね。

そんな皆様に一つ、私的なコツをお伝えしようと思います。

 

まず、方便品は一之巻のだいたい真ん中くらいにありますから、一之巻を手に取り、おもむろに半分くらいの所を開いてみてください。

運よくピッタリ方便品の箇所が開けられることも結構ありますよね。

 

でも、ちょうど探している場所が開けられなかった時は、ちょっと困ります。

何故なら、序品の経末も、そして方便品の十如是の直後もまた五字偈だからです。

探している箇所の直前・直後がどちらも五字偈ですから、パッと見ただけではそれが何品なのか瞬別できず、探している方便品の冒頭が、今開いている箇所よりも前なのか後ろなのか悩みます。そして、逆方向へ頁をめくってしまったりして、どんどんと遠ざかっていくという負のループ…。

 

そんな時、私は経文に登場してくる人物名を手掛かりにして、目的箇所へと辿り着くようにしています。

 

序品では、三昧に入っておられるお釈迦様の周りで数々の奇瑞が起こります。それをご覧になった文殊菩薩様が、

「遠い過去世、日月燈明佛という仏様がまさしく今と同様の奇瑞をあらわされ、その後に法華経をお説きになった。その時、私は妙光菩薩として日月燈明佛様より法華経聴聞していた」と明かされます。

そして、「お釈迦様もこれから法華経をお説きになるだろう。合掌して一心に待ちたてまつれ」と述べられて序品は終わります。

序品の経末から三十行ほど遡りますと、その間に、話し手である文殊菩薩様の過去世でのお名前、「妙光菩薩」様のお名前が7回出てきます。

 

続いて、お釈迦様は三昧より安詳として起って、舎利弗様に話しかけられるシーンから方便品が始まります。

その後も、方便品ではお釈迦様は舎利弗様に向かって話され、舎利弗様の度々の懇請に応えるようにして法が説かれますので、聴き手はずっと舎利弗様です。

十如是に続く五字偈のことを、初句に因んで「世雄偈(せおうげ)」と呼びますが、この21行の世雄偈の中に「舎利弗」様のお名前が4回出てきます。

 

読み慣れてくると、字面を見て「あ、ここは序品だ」「ここは方便品だな」とすぐに判断できるようになりますが、振り仮名付の経本を読んでいる方や、習ったばかりで自分の書き込みを頼りにしている状態ではなかなか漢字や文の意味には目や意識が行きません。

そんな方は、とりあえず頁に広く目を向けて、妙光菩薩様か舎利弗様のお名前を探してみてください。

そして、妙光菩薩様のお名前が見つかれば「ここは序品だ!」と頁を先へ進め、舎利弗様のお名前が見つかれば「ここは方便品だ!」と頁を前に戻り、探している方便品の箇所へと辿り着いてください。

 

法要の参列者は式衆の姿をよく見ています。

なかなか目的箇所を見つけられず、頁の行ったり来たりを何度も繰り返している姿は、法要としては美しくありませんし、酷い場合は、「あれ?あのお上人さんはお経が読めないのかしら?」などと思われるかもしれません。

方便品が始まれば、できるだけ早くにその頁へ辿り着きましょう。

比丘尼?尼思仏?

常不軽菩薩品第二十に「師子月等五百比丘尼思仏等五百優婆塞」という部分があります。

「過去世において、常不軽菩薩を罵ったり、石を投げたりした増上慢の者たちは、他でもない、今ここで法を聴いているあなたたちのことですよ」とお釈迦様が明かされる場面の経文です。

この経文、皆さんのお経本では、どこに句読点が記してありますか?

 

恐らく、多くのお経本は「師子月等。五百比丘。尼思仏等。五百優婆塞」となっているのではないでしょうか?

法華三部経』(三木隨法編著)には「師子月等の五百の比丘、尼思仏等の五百の優婆塞」と書き下してあります。他にも、日蓮宗より発刊されている本の多くは、このように記してあることが多いと思います。

つまり、師子月たちは比丘(男性僧侶)で、優婆塞の代表は尼思仏という名前になっています。

 

ですが、岩波文庫の『法華経』では、「師子月等の五百人の比丘尼と思仏等の五百人の優婆塞」とあり、現代語訳も「シンハ=チャンドラーをはじめとする五百人の尼僧たち、スガタ=チェータナーをはじめとする五百人の女の信者たち」となっています。

 また、植木雅俊訳の『梵漢和対照・現代語訳 法華経』にも、「”月のように美しい師子”(師子月)以下、五百人の女性出家者たち、”人格を完成したという思いを持つもの”(思仏)以下、五百人の女性在家信者たち」と訳されています。

 

これらを読みますと、「師子月等。五百比丘尼。思仏等。五百優婆塞」が正しいように思います。

ならば、師子月たちは比丘ではなく比丘尼(尼僧)で、優婆塞の代表は尼思仏ではなく思仏という名前なのではないでしょうか?

ちなみに、岩波文庫の訳注には「思仏は(善逝を思う)の訳語で、羅什訳千仏因縁経には、思仏と名づける優婆塞が無生法忍を起した」と書かれており、「思仏」という名の優婆塞が他の経典にも登場していることがわかります。(同一人物かはわかりません)

 

実は、私が使用しています昭和41年改版発行の新頂妙寺法華経は「師子月等。五百比丘尼。思仏等。五百優婆塞」となっており、他の経本との違いが常々疑問でした。

頂妙寺版の巻末には「梵本を勘校しますと、尚そこに幾多の訓点の誤りが見受けられます」とあり、改版に当たり、最小限度に誤訓を訂正したと述べられています。

平楽寺書店刊行の『妙法蓮華経』二巻本(明治18年刊行の第三版頂妙寺版)を見ますと、「五百比丘。尼思仏等」となっていますので、この部分は昭和41年の改訂の際に変更された箇所の一つのようです。

岩波文庫、植木訳ともに「比丘尼。思仏」となっていることから考えますと、梵本にはそう記されているのでしょう。そして、「梵本を勘校しますと」と述べられた新頂妙寺版も同じように句切られたことは、不思議なことではないでしょう。

 

さて、この経文を日蓮聖人が「災難対治鈔」(真蹟現存)に引用されているのですが、そこには「尼思仏等の不軽菩薩を打ちて阿鼻の炎を招くも」と記されています。

漢文の御遺文ですが、その前の字は「五百比丘」ではありませんので、区切り間違いではなく、日蓮聖人は「尼思仏」と記しておられるのです。

このことから、日蓮聖人はこの経文を「五百比丘。尼思仏等」と読んでおられたと推測できます。

 

日蓮聖人の誤りだ!と申し上げたいのではありません。日蓮聖人ご在世の頃すでに、この経文は「五百比丘。尼思仏等」と句切ることが慣例だったのでは?と考えるのです。

日蓮聖人も、私たちのようにお師匠様や先輩方から一々文々でお経を習われたでしょうから、ご指導なさった方々がそう読んでおられれば、習う側も同様の読みを習得するでしょう。

ちなみに、芝金聲堂発行の天台宗法華経読誦普及会」編『漢和対照法華三部経』を確認しますと、該当箇所は「五百比丘。尼思仏等」で句切ってありました。

日蓮聖人ご在世の頃、お経本に句読点は打ってなかったと思いますので、その頃も同様であったかは確認できませんが、昔からの慣例と考える方が自然ではないでしょうか。

 

上述したように、日蓮宗の経本や発刊書の多くが「五百比丘。尼思仏等」になっているのは、古来の慣例に加え、日蓮聖人の読み方を踏襲したのだろうと想像します。

ならば、日蓮宗の僧侶である私たちは、これに従って「五百比丘。尼思仏等」とお読みするのがよいように思いますが、新頂妙寺版で改訂されたように、学術的な根拠に基いて慣例を変更することも、正しい教えを後世に伝える上ではとても重要なことだと思います。

 

常不軽菩薩を罵った出家者たちが女性か男性か、優婆塞の名前が尼思仏か思仏か、といった違いですから、「教義・解釈に大きく関係する箇所ではないから大した問題ではない」と考える方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、2通りの読みがあることは事実であり、講習会でお経の読み方をお伝えする立場としては、何とも悩ましいことです。

 

先師の音義書に「今更改め難し」と書かれた箇所がたくさんあります。

当時はそうであっても、後世、学術的な研究や遺跡調査等から大きな新発見があれば、定説が覆ることがありますが、余程のことがなければ、今も昔も、やはり宗祖や先師からの読み伝えや慣例を改めていくことはとても難しいことです。

この箇所に限った話ではありませんが、どちらかが正しくてどちらかが誤りだ、と軽々しく断ずるのではなく、背景を詳しく知った上で、どのように読んでいくのがよいか、検討を重ねていかなければいけないと思います。