法要にて、導師並びに式衆が読経する際には、ルールが定められています。
『宗定法要式』には「導師が磬一下の後、経題を読み上げ本文の初句まで句頭したら、式衆は2句目より付けて読み始め、次に木鉦を打ち始める」と記されています。
つまり、「方便品」でしたら「妙法蓮華経。方便品。第二。爾時世尊」まで導師が句頭し、「従三昧〜」から一同が同音します。
「如来寿量品」は、1句目は「爾時佛告諸菩薩」ですから、同音は「及一切大衆」からです。
では、「提婆達多品」はどこから同音していますか?
経本の句読点を確認すると、提婆達多品の1句目は、如来寿量品と同じ「爾時佛告諸菩薩」となっています。
『宗定法要式』のルールを適用するならば、寿量品と同様に、2句目の「及天人四衆」から同音するのが正しいと考えられます。
ですが、古来の慣例か、「爾時佛告」で句切って「諸菩薩」から同音される方も多いと思います。そして、当講習会でもそのようにお伝えしております。
では、これは間違いなのでしょうか?
本来、経本は白文であり、句読点は打たれていません。
そして、師匠や読師よりお経を習う際には、必ず一句ごとに句切ってオウム返しで指導を受け、その句切りに自分で朱を書き入れ、句読点を記してきました。
ですから、習った師によって句読点の箇所に若干の差異があったことは大いに想像できます。
ただ単に、「一句が長いから」という理由でテキトーに挿入したのではなく、経文の意味を考えて、適切と思われるところに句読点が挿入されているでしょうから、何通りかの打ち方があることも不思議ではありません。
ちなみに、天台宗の『法華三部経』では、提婆達多品、如来寿量品ともに「爾時佛告」で句切られていました。
日蓮宗の経本ではどちらも「爾時佛告諸菩薩」となっているのですから、読み方は揃える方がいいようにも思いますし、過去慣例を重んじることも大切に思います。
個人的には「その時の仏は告げた、諸の菩薩および天人四衆に」と、倒置法のような文になりますが、「爾時佛告」で句切った方が意味に合うように感じます。そうすると、寿量品を直すべきなのかしら?
別案として、「爾時」「佛告諸菩薩」と句切る方がいらっしゃいますが、この場合、「その時に、仏 諸の〜に告げたまわく」と読めるので、これもしっくりくるように思えます。
毎度のコメントですが、大変悩ましいですね・・・。
現行の経本には必ず句読点が既に印刷されていますから、私たちは何の疑問ももたずに、句読点の打たれた所で句切り、同音や金丸を打つ場所の目安にしたり、息継ぎをしたりしています。
ですが、考えてみれば、その印刷された句読点も古来の慣例に則っているわけで、あらためて検討すれば、訂正が必要な箇所もあるかもしれません。
経文の句読点を、単なる作法の目安としてではなく、文意に基づいた句切りであると認識しながら読経ができるように精進を重ねたいですね。