法華経一部読誦講習会 in WEST

一々文々のオウム返しによる一部経読誦の講習会です。令和元年より関西でも開講しております。

比丘尼?尼思仏?

常不軽菩薩品第二十に「師子月等五百比丘尼思仏等五百優婆塞」という部分があります。

「過去世において、常不軽菩薩を罵ったり、石を投げたりした増上慢の者たちは、他でもない、今ここで法を聴いているあなたたちのことですよ」とお釈迦様が明かされる場面の経文です。

この経文、皆さんのお経本では、どこに句読点が記してありますか?

 

恐らく、多くのお経本は「師子月等。五百比丘。尼思仏等。五百優婆塞」となっているのではないでしょうか?

法華三部経』(三木隨法編著)には「師子月等の五百の比丘、尼思仏等の五百の優婆塞」と書き下してあります。他にも、日蓮宗より発刊されている本の多くは、このように記してあることが多いと思います。

つまり、師子月たちは比丘(男性僧侶)で、優婆塞の代表は尼思仏という名前になっています。

 

ですが、岩波文庫の『法華経』では、「師子月等の五百人の比丘尼と思仏等の五百人の優婆塞」とあり、現代語訳も「シンハ=チャンドラーをはじめとする五百人の尼僧たち、スガタ=チェータナーをはじめとする五百人の女の信者たち」となっています。

 また、植木雅俊訳の『梵漢和対照・現代語訳 法華経』にも、「”月のように美しい師子”(師子月)以下、五百人の女性出家者たち、”人格を完成したという思いを持つもの”(思仏)以下、五百人の女性在家信者たち」と訳されています。

 

これらを読みますと、「師子月等。五百比丘尼。思仏等。五百優婆塞」が正しいように思います。

ならば、師子月たちは比丘ではなく比丘尼(尼僧)で、優婆塞の代表は尼思仏ではなく思仏という名前なのではないでしょうか?

ちなみに、岩波文庫の訳注には「思仏は(善逝を思う)の訳語で、羅什訳千仏因縁経には、思仏と名づける優婆塞が無生法忍を起した」と書かれており、「思仏」という名の優婆塞が他の経典にも登場していることがわかります。(同一人物かはわかりません)

 

実は、私が使用しています昭和41年改版発行の新頂妙寺法華経は「師子月等。五百比丘尼。思仏等。五百優婆塞」となっており、他の経本との違いが常々疑問でした。

頂妙寺版の巻末には「梵本を勘校しますと、尚そこに幾多の訓点の誤りが見受けられます」とあり、改版に当たり、最小限度に誤訓を訂正したと述べられています。

平楽寺書店刊行の『妙法蓮華経』二巻本(明治18年刊行の第三版頂妙寺版)を見ますと、「五百比丘。尼思仏等」となっていますので、この部分は昭和41年の改訂の際に変更された箇所の一つのようです。

岩波文庫、植木訳ともに「比丘尼。思仏」となっていることから考えますと、梵本にはそう記されているのでしょう。そして、「梵本を勘校しますと」と述べられた新頂妙寺版も同じように句切られたことは、不思議なことではないでしょう。

 

さて、この経文を日蓮聖人が「災難対治鈔」(真蹟現存)に引用されているのですが、そこには「尼思仏等の不軽菩薩を打ちて阿鼻の炎を招くも」と記されています。

漢文の御遺文ですが、その前の字は「五百比丘」ではありませんので、区切り間違いではなく、日蓮聖人は「尼思仏」と記しておられるのです。

このことから、日蓮聖人はこの経文を「五百比丘。尼思仏等」と読んでおられたと推測できます。

 

日蓮聖人の誤りだ!と申し上げたいのではありません。日蓮聖人ご在世の頃すでに、この経文は「五百比丘。尼思仏等」と句切ることが慣例だったのでは?と考えるのです。

日蓮聖人も、私たちのようにお師匠様や先輩方から一々文々でお経を習われたでしょうから、ご指導なさった方々がそう読んでおられれば、習う側も同様の読みを習得するでしょう。

上述したように、日蓮宗の経本や発刊書の多くが「五百比丘。尼思仏等」になっているのは、古来の慣例に加え、日蓮聖人の読み方を踏襲したのだろうと考えます。

 

ならば、日蓮宗の僧侶である私たちは、これに従って「五百比丘。尼思仏等」とお読みするのがよいように思いますが、新頂妙寺版で改訂されたように、学術的な根拠に基いて慣例を変更することも、正しい教えを後世に伝える上ではとても重要なことだと思います。

 

常不軽菩薩を罵った出家者たちが女性か男性か、優婆塞の名前が尼思仏か思仏か、といった違いですから、「教義・解釈に大きく関係する箇所ではないから大した問題ではない」と考える方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、2通りの読みがあることは事実であり、講習会でお経の読み方をお伝えする立場としては、何とも悩ましいことです。

 

先師の音義書に「今更改め難し」と書かれた箇所がたくさんあります。

当時はそうであっても、後世、学術的な研究や遺跡調査等から大きな新発見があれば、定説が覆ることがありますが、余程のことがなければ、今も昔も、やはり宗祖や先師からの読み伝えや慣例を改めていくことはとても難しいことです。

この箇所に限った話ではありませんが、どちらかが正しくてどちらかが誤りだ、と軽々しく断ずるのではなく、背景を詳しく知った上で、どのように読んでいくのがよいか、検討を重ねていかなければいけないと思います。