お経をお読みする時、基本的には漢字1文字につき木鉦を1打して拍を取ります。
例えば「爾時世尊」でしたら「にー・じー・せー・そん」と4拍で読みます。
過去のコラムでも書きましたが、時々このルールに反して漢字2文字を1拍に縮めて読む箇所があります。
その代表的な箇所の一つに「舎利弗」があります。
「舎利弗」とは、あらためて説明するまでもなく、お釈迦様の高弟のお一人、智慧第一と称される舎利弗さまのお名前です。
講習会WESTで内容講義を担当くださっています三木上人もおっしゃってましたが、なんと、これは舎利弗さまの本名ではありません。
舎利弗さまは、インドの言葉では「シャーリプトラ」「サーリプッタ」と呼ばれますが、これは、「シャーリー(サーリー)」はお母さまのお名前、「プトラ(プッタ)」は息子、という意味で、つまり「舎利弗」は「シャーリーの子」という意味です。
般若心経などには「舎利子(しゃりし)」として登場しますが、もちろん同一人物で、文字通り「舎利の子」です。
他に、説法第一の富楼那さまは「富楼那弥多羅尼子」と呼ばれますが、これもまた、本人の名前の「フルナ」に続けて、お母さまの名前を用いて「マイトラーヤニーの子」と呼ばれているのです。
ちなみに、舎利弗さまの本名は「ウパティッサ」というお名前で、お経には「優波低須」「優波低沙」などと表記されています。
さて、日蓮宗では法華経を読誦する際、「舎利弗」は、必ず「舎利」の2文字を縮めて「しゃり・ほつ」と2拍で読みますが、これは一体なぜなのでしょう?
実は私はその理由を存じ上げません。(何か一説が示されていると思ってお読みの皆様、誠に申し訳ございません)
般若心経を聞いておりますと、「しゃー・りー・しー」と縮めずに読んでおられます。私は昔、初めてこれを聞いた時に、「お母さまのお名前が「シャーリー」なのだから、縮めない方が正しいのでは?」と疑問に思ってしまったのですが、日蓮宗では必ず「しゃり・ほつ」と縮めて読んでいます。
どなたかこの理由をご存知ではありませんか?
天台宗の法華経読誦普及会編『法華三部経』を見ますと、「舎利弗」には縮めて読む記号が付けられており、天台宗では日蓮宗と同様の読みをしていることがわかります。
日蓮聖人は当時天台宗であった清澄寺で得度なさり、比叡山で御修行もなさっていますから、当時から「舎利弗」は縮めて読んでおり、日蓮聖人もそう習われ、日蓮宗の読みはそれに倣ったものだ、と推測するのがよいのでしょうか。
また、別の語句についてですが、面白い発見がありました。
「陀羅尼」 は日蓮宗では「だら・にー」と2拍に縮めますが、天台宗の『法華三部経』には「だー・らに」と縮める記号が付けられています。
「陀羅尼」はサンスクリット語「ダーラニー」の音写ですから、比較して見ますと天台宗の縮め方の方が原語に忠実なように思え、この違いはいつ頃どのように生まれたのか、大変興味深く思った次第です。
余談ですが、埼玉県等に「舎利弗さん」という苗字の方がいらっしゃるそうですが、こちらは読経ではありませんから、お名前をお呼びする際には「しゃりほつさん」と縮めて読むのが当然でしょう。
今回の話題は、講習会でももちろん例外なく「しゃり・ほつ」とお伝えしておりますし、今後改訂していくべきだ、という議論も全くございません。
ただ、個人的に疑問に思った、というだけのコラムでした。余計な波風をたてるような内容で、誠に申し訳なく、文末にてお詫び申し上げます。