皆様のお寺の御宝前は、どのような形態でお祀りされていますか?
御本尊の形態については諸論ありますので、ここで詳細は述べませんが、総本山の身延山久遠寺をはじめ、多くの日蓮宗寺院の御宝前は、一塔両尊四士に加えて四天王、文殊菩薩・普賢菩薩、(+不動明王・愛染明王)が木像としてお祀りされている所が多いのではないでしょうか。
僧侶あるあるだと思いますが、自坊の御宝前は見慣れていますが、他寺へ行きますと、自坊との違いが気になり、つい細部までキョロキョロ見てしまいます。
だいぶ昔の話ですが、ある時、行事で訪れた先輩のお寺の御宝前が、少し珍しい形態でお祀りされており、何とも不思議な思いを抱いたことがありました。
それは、須弥壇の中央に大きな多宝塔があり、その中にお釈迦様と多宝如来様が並んで坐しておられるお姿でした。
「見宝塔品」には、お釈迦様のお説法中に出現した多宝塔の中に多宝如来様がいらっしゃって、多宝如来様が座を半分お譲りになったところにお釈迦様がお座りになった、と説かれています。これを「二佛並坐」といいます。
経文に「入其塔中」「在七宝塔中」とありますから、お釈迦様と多宝如来様は、多宝塔の中にお座りになっておられるはずです。
そう考えますと、この先輩のお寺の御宝前こそが経文に忠実であり、自坊の一塔両尊は誤っているのだろうか?と悩んでしまったのでした。
「一塔両尊」の御宝前は、中央にお題目の塔があり、その塔の中ではなく、塔を挟むように、両側にお釈迦様と多宝如来様が坐しておられます。
これは、「観心本尊抄」に示された大曼荼羅御本尊のご説明の通りで、寺院の御宝前の一塔両尊四士はそれを木像に彫造して配列したものです。
ですから、一塔両尊の御宝前は大曼荼羅御本尊をお祀りしているのと同義であり、何か誤りがあるわけではありません。そして、中央のお題目は私たちをはじめ十界のすべてを照らして下さっているのですから、やはり御宝前の一番中央にあるのが相応しいのでしょう。
ですが、見宝塔品をお読みする度に先輩のお寺を思い出しては、御本尊のお姿と経文の違いが気になり、不思議に思ってしまうのでした。(今朝のお勤めが見宝塔品でした)
そして、どうせなら多宝塔は「住在空中」しているのですから、本堂の天井から吊るしてみては如何だろう?などと考えてしまうのでした。
まだまだ我慢の日々です・・・。
全国に発令されておりました緊急事態宣言や諸々の自粛要請もようやく解除され、少しずつですが、経済活動が再開されるようになってまいりました。
ですが、急な活動再開により再び感染拡大しては困りますし、また、毎日のように新たな感染者数が報告されるなど、都道府県によっては全く緊張を緩めるわけにいかない所もまだまだあるようです。
日蓮宗では、これから開催される予定であった講習会や研修会も軒並み中止や延期が決断されており、法華経一部読誦講習会も、なかなか再開の目途が立てられません。
一日も早く講習会が再開できますように祈りながら、引き続き、新型コロナウィルスの状況を注視し、検討を重ねてまいります。
講習会の再開が決定しましたら、ブログ等で告知を致しますので、もうしばらくお待ちください。
どうぞ皆様、引き続きご健康にご留意いただきますようお願い申し上げ、重ねて、新型コロナウィルスの早期収束を一心に祈念申し上げます。
講習会 in WEST ~四之巻~ 延期のお知らせ
誠に残念なお知らせです。
4月13日より大本山本圀寺様にて開催予定で準備を進めておりました「法華経一部読誦講習会 in WEST ~四之巻~」ですが、昨今の事情を鑑み、延期することと決定致しました。
既にお申込みいただきました方々、参加ご検討中でした皆様方には、誠に申し訳ございませんが、この度の延期決定に対し、ご理解・ご海容を賜りますようお願い申し上げます。
世界の情勢や政府の方針発表を聞きながら、心休まらぬ日々を過ごしておりますが、今後、万全の態勢で皆様をお迎えできる状況が整いましたら、速やかに日時を決定し、ご案内いたしますので、しばらくの間お待ちいただきたく存じます。
何卒ご理解を賜りますよう、お願い申し上げますとともに、一刻も早く穏やかな日常が得られますよう、一心に祈念いたします。
講習会(池上)延期のお知らせ
毎日、新型コロナウイルスのニュースが騒がれておりますが、日蓮宗でも、大勢の方々が集まる行事の延期や中止が相次いでおります。
そして、誠に残念なお知らせですが、3月11日より開催が予定されておりました、池上本門寺での法華経一部読誦講習会〜八之巻〜を開催延期することと致しました。
事態収束の兆しが見えましたら、速やかに日時を定め、あらためて皆様にご案内申し上げます。
何卒ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
また、4月13日より開催予定の講習会 in WEST〜四之巻〜は、今後の成り行きを見ながら、開催の可否を検討してまいります。
スタッフ一同、罹患なさった方々の一刻も早い回復と、一日も早い事態の収束を一心にお祈り申し上げます。
どうぞ皆様も、ご自身で可能な限りの自衛に努めて頂きますよう、お願い申し上げます。
身延で一部経読誦会!!
2月20日、山梨部経研鑽会のご発案で、御廟所にて一部経を読誦するという一大イベントが開催されました。
実際は、御廟所の拝殿を長時間占領しての読誦会は難しい為、御廟所の拝礼所である「常唱殿」にて、午前11時より夕方5時まで、一心に法華経一部を読誦させて頂きました。
山梨部経研鑽会の皆様の呼びかけに応じ、北は青森、南は…緯度で言うと大阪堺市ですかね?・・・と、全国各地から一部経読誦を志す方々が、なんと46名集まりました!!
加えて、当日、話を聞きつけて飛び入り下さったお上人様、身延山の学生さんもお越しになり、最終的には僧俗あわせて50人以上の大勢での一部経読誦となりました。
お恥ずかしい話、常唱殿へは、信行道場の際に訪れて以来一度もお参りしたことがありませんでしたが、なるほど、ここは御廟所を礼拝する為のお堂であり、堂内に座ると正面ガラスの向こうに御廟所を拝することが出来ます。
お経中はもちろん経本に目線が向いていますから、常に御廟所を注視して、というようにはいきませんが、一同の読誦する大音声は常唱殿から周囲へと響き渡り、御廟所へも届いていたことでしょう。
山梨部経研鑽会は、池上本門寺での法華経一部読誦講習会を全て修了なさった方が中心となって3年ほど前に立ち上げられた会ですが、年々、各地にて一部経読誦の機会が増え、このような大人数が集まるようになるとは、本当に驚きで大変感動しました。
池上での講習会も、3月開催の八之巻で計2周を終えることとなり、会にとっても受講生にとっても、また次のステップが始まろうとしております。
以後、講習会も一層盛り上がり、更なる結縁を得て、ますます全国に一部経読誦が広まりますよう、そして、一字一字の読誦が私たち僧侶の資質向上へとつながり、宗風宣揚し、正法興隆と相成りますよう、願って已みません。
最後に、このような素晴らしい読誦会を企画・開催して頂きました、山梨部経研鑽会の皆様に衷心より御礼申し上げます。
WEST 四之巻講習会、案内発送しました!
この度、4月13日〜15日に京都の大本山本圀寺にて開催致します、「法華経一部読誦講習会 in WEST〜四之巻〜」のご案内が完成致しましたので、発送いたしました。
近日中には皆様のお手元へ届くかと存じます。
スタッフ一同、より有意義な講習会になりますよう、力を注いでまいりますので、どうぞご参加ご検討ください。
毎度申し上げていることですが、この講習会は何之巻から始めて頂いても大丈夫です。もちろん、「一之巻から始めたい!」というお気持ちの方が多いことでしょう。
ですが、次の一之巻まで待っていますと、またその頃には一部経に対する熱意も変わっているかも知れません。
思い立ったが吉日です。
お手元にチラシが届きましたら、どうぞその流れでお申し込みファクスして下さい!
皆様からのお申し込み、お待ちしております。
星にまつわる悩み
2月といえば節分(もう終わってからの記事で申し訳ございません)。
節分は冬から春へと季節が移る節目であり、特に2月の節分では、暦が新しい年へと変わりますから、多くの日蓮宗寺院では節分会や星祭りが営まれ、檀信徒の皆様の好運気を祈ります。
さて、皆様の運気上昇を祈念する時、私たちは「善星皆来!悪星退散!」と願文をお唱えします。
私はこれを「ぜんせいかいらい!あくせいたんさん!」と読んでいますが、皆様はどのように読んでいらっしゃいますか?
実は今朝、朝勤で「薬王菩薩本事品第23」をお読みしておりましたら、「星」という字が出てきました。
お釈迦様が、法華経があらゆる経典の中で最も素晴らしいことを、10の喩えを用いて述べられる所に、「多くの星の中で月天子が一番であるように、この法華経は諸の経法の中で最も明るい」と説かれています。
この時、「又如衆星之中」の経文をお読みする時、「星」は「ショウ」と読みます。
「星」を漢字辞典で調べますと、漢音が「セイ」、呉音が「ショウ」と記されています。経文は呉音で発音することがとても多く、上記の経文もやはり「ショウ」と読んでいます。
もう一か所、「妙荘厳王本事品第27」にも「日星宿三昧」とありますが、こちらも「ショウ」です。
では、冒頭の「善星皆来!」は「ぜんしょう」と読む方がよいのでしょうか?
「善星皆来」は「身体健全」等と同じく、お経の中にある言葉ではなく、お祈りの願意としての造語でしょうから、厳密な発音を求めることは必要ないのかもしれません。
逆に、「気力安楽」や「智慧明了(瞭)」等、経文にある言葉を願意に用いる時は、「けりき」「みょうりょう」と経文の通りの発音で読んでいます。
正しい発音を「こうでなくちゃいけない!」と、1つに決めつけてしまうと少し窮屈で、いくらか慣習読みも残してもよいように考えますが、質問をお受けした際にお答えするには、返答する為の何らかの基準、ルールが必要で、私たちも悩んでしまいます。
一部経の読みに関しましては、スタッフ一同、何度も読み合わせを行い、すり合わせを綿密に行いますが、回向・祈願の文言は、また別の議論が必要に思います。
いやぁ、気にしだすとキリがないですね…。